私が鍼灸師になった理由・中篇

私が鍼灸師になった理由(中編)

大学卒業後、亀有の接骨院に就職。2年間、施術の補助をしながら東洋医学の可能性を模索していたが、次第に「これがやりたいことなのか」と考えるようになった。流れ作業のような施術に疑問を感じ、もっと深く治療と向き合いたいと思うようになった。

その思いを胸に、鍼灸の専門学校へ進学。1年目は同じ職場で働きながら学んでいたが、より実践的な経験を積むため、専門学校2年に進級するタイミングで、業界でも有名な老舗治療院の門戸を叩いた。ここは、当時はあまりなかった24時間営業。完全歩合制で施術師30人以上が在籍する厳しい現場。指名を得られなければ収入はゼロ。途中で患者に気に入られなければ即チェンジ。甘えの許されない環境だった。

最初の数回だけ指導を受けられたが、それ以降は自分で学ぶしかない。施術の技を盗み、患者の要望を的確に汲み取りながら経験を積んでいった。今でも尊敬する先輩の存在のおかげで、少しずつ指名が増え、2年後には指名No.1に。自分の施術が認められるようになった。

だが、昼夜逆転の生活が続き、身体への負担も大きかった。専門学校を卒業し、国家試験に合格したのを機に退職し、次なるステップへ進むことを決意。

次の職場は、鍼灸の患者が一日中絶えない鍼灸院。まだまだ日本では鍼灸の患者が多いとは言えない中ここは違った。ここでは一人ひとりとじっくり向き合うことが求められた。加えて、グループ内の整形外科でも施術を担当する機会があり、幅広い症例に触れることができた。実際に医師のもとで診断を受けた患者を治療することで、西洋医学と東洋医学の違いや、それぞれの強みを実感する日々だった。

4年半にわたり、鍼灸の臨床を積み重ねる中で、ようやく独立の道が現実味を帯びてきた。目の前の治療だけでなく、鍼灸の本質を深く知るために、専門書を読み漁る日々。その過程で出会ったのが、長野潔先生の『針灸臨床 わが三十年の軌跡』だった。

この本を手にした瞬間、すべてがつながった気がした。これこそが自分の求めていた治療の形ではないか。直感的にそう感じた。

長野式治療法を学ぶため、すぐにセミナーへ参加。さらに深く理解を深めるにつれ、自分の治療家としての方向性がより明確になっていった。

次回、「私が鍼灸師になった理由(後編)」では、長野式との出会いから講師としての活動、そしてそこからの変遷について語る。

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