私が鍼灸師になった理由・後篇

私が鍼灸師になった理由(後篇)

長野式治療法との出会いは、自分の治療家としての考え方を大きく変えるものだった。治療の効果を最大限に引き出すためには、ただ鍼を打つだけではなく、患者の体質や状態を的確に把握し、それに合わせた施術を行う必要がある。長野式は、まさにその考えを具現化した治療法だった。

セミナーに参加するたびに、これまで学んできたことが整理され、理解が深まっていった。普段の臨床で気づいたことをすべてぶつけて、先人の経験をすべて自分のものにせんと、学びを実践に移しながら、自分の治療スタイルにどう落とし込むかを考え続けた。次第に、単に技術を学ぶだけでなく、指導する側としての道が開かれ始める。

ある日、長野式治療の代表から声がかかった。「講師としてやってみないか?」と。最初は戸惑ったが、新しい挑戦をしない理由はなかった。自分が学んできたことを整理し、言語化し、他者に伝えることで、さらに理解が深まる。人前で話すことには抵抗があったが、治療に対する情熱がそれを上回った。

こうして、長野式セミナーの講師としての活動が静岡から始まった。講義の準備には膨大な時間をかけた。誰にでも分かりやすく、実践で活かせる形で伝えるにはどうすればいいか。試行錯誤の末、実践的な指導を重視し、理論だけでなく、現場での応用に重きを置いた講義を行うようになった。

やがて、東北地方でのセミナーも任されるようになる。受講生は学ぶ姿勢が非常に真剣だった。限られた機会を最大限に活かそうとする姿勢が伝わり、自分も全力で指導に臨んだ。教えることで、自分自身の技術も研ぎ澄まされていった。

しかし、2020年に世界が大きく変わる。新型コロナウイルスの影響で、セミナーの開催が難しくなり、治療院の運営にも制限がかかる。そんな中で、長野式臨床研究会は対面でのセミナーを続ける決断を下した。この方針にどうしても賛同できなかった。

感染のリスクを抱えながら学びに来る受講生を考えたとき、今は学びよりも安全を優先すべきだと強く思った。オンラインでの代替手段を提案したが、受け入れられなかった。苦渋の決断だったが、自分は長野式臨床研究会を離れることを選んだ。

離れた後の喪失感は大きかった。長野式の治療法自体に疑念を持ったわけではない。しかし、組織に属することで感じていた一体感がなくなり、次に進むべき道を模索する日々が続いた。

会を離れた後も、以前一緒に仕事をした美容鍼協会からコラボセミナーのお誘いが舞い込む。「長野式ではなく、岩島先生と仕事がしたい」と言われたことが、大きな励みになった。自分の経験や知識が、特定の流派に依存せずとも評価されていることに気づき、新たな一歩を踏み出すきっかけとなった。

さらに、かつて東北の受講生だった先生からの依頼で、宮城県鍼灸師会でのセミナーも実現。長野式の枠を超え、自分なりの治療観を伝える場を得た。どの流派に属するかではなく、「より良い治療を届けること」にフォーカスする。それが、今の自分の軸となっている。

そして、現在。治療技術の向上だけでなく、「より良い人生を送りたいと願う人のサポートをする」という考えに至った。痛みを取ることが最終的な目的でなく、その先の人生をどう豊かにするか。そのための治療を提供することこそが、自分の使命だと確信している。

これからも、鍼灸を通じて「治す」だけではなく、「より良い人生」「生きがい」の手助けをしていきたい。

タイトルとURLをコピーしました