コロナ禍で、長野式から離れた話


大きな転機

2020年。
この年を境に、私の鍼灸師人生はひとつの大きな転機を迎えました。

それは、まさかの「長野式臨床研究会からの離脱」。
自分でも、こんな形で会を離れる日が来るとは思ってもいませんでした。

もともと、長野式には強い思い入れがありました。
臨床に悩み、模索していた時期に出会ったこの治療法は、まさに灯台のような存在で、セミナーにも通い詰め、研究し、やがては講師の一人として活動するようになったのです。

そんな自分が、その会を離れる。
それは「技術的な違い」ではなく、「価値観のすれ違い」によるものでした。


「開催する」という選択がもたらすもの

新型コロナウイルスが猛威を振るいはじめた2020年、世の中が「集まらないこと」を最優先に動いていた頃、臨床研究会は「セミナーをやめない」という判断をしました。

もちろん、学びたい人はいる。
その気持ちは理解できます。でも、受講生が「学びたいから参加する」のではなく、「今ここで学ばないと置いていかれるかも」という“恐れ”から足を運ぶとしたらどうでしょう。
しかも、それが感染のリスクを孕んだうえでの判断だとしたら?

自分はその姿勢に、どうしても納得できなかった。

だから提案しました。「いったん止めて、落ち着いたら再開しませんか?」「もしくは、オンラインでの開催に切り替えてみませんか?」と。
でも、オンラインには否定的な意見が返ってきて、話は平行線。

それでも「医療に携わる人間として、それは違う」と思い、自分は会を離れる決断をしました。


2年後、戻ったつもりだったけれど

2022年、感染状況も落ち着いてきた頃に「そろそろ戻ろうかな」と思って、再び会の門を叩きました。
でも、何かが違った。

講師仲間たちの視線はよそよそしく、まるで自分が“反旗を翻した存在”かのような空気がありました。
そこには、もう自分の居場所はなかったのです。


喪失と、再出発と

長野式が嫌いになったわけじゃありません。
むしろ、今でもその理論と技術には誇りを持っています。

でも、その「素晴らしさを伝えていきたい」という思いを、会という枠組みの中で実現することはできなくなった。

喪失感はありました。
けれど、同時にこうも思いました。

——今こそ、自分の手で「伝える場」をつくる時じゃないか?

その後、美容鍼の団体や、地方の鍼灸師会から講師として声がかかることもありました。
「岩島先生だからお願いしたい」
そう言ってもらえたことは、何よりの励みになりました。


これから

私は、ただ痛みを取るための治療家になりたいわけじゃありません。

その人の「人生をより良くするお手伝い」がしたい。
痛みや不調を取り除くのは、その人が本当にやりたいことへ向かうためのスタート地点です。

だからこそ、自分の治療技術も、環境も、そして「届ける言葉」も磨いていきたい。
このブログも、そんな思いで綴っています。


最後に

コロナ禍は、多くのものを壊しました。
でも、だからこそ生まれた「新しい自分の道」もある。

あの時、会を離れる決断をして、本当に良かった。
今では、そう思えます。

「伝える」ということに、これからも真摯に向き合っていきたいと思います。


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